ねこうさぎ
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いまは、そおゆう時代なんだ
2016-07-10 Sun 18:18

梅雨の合間の晴れの空。

みずいろできれい。



みずいろ

平成22年の夏にトモヤが旅立ってしまってから、もう6年近くになる。

トモヤを亡くした私は、その職場にいられず、転勤になった。



30余年働いた仕事を振りかえってみると、
後悔がいっぱいでたまらなくなる。


26歳で母になった私。
当時は育児休暇がなかったので、
生後2か月にならないトモヤを実家にみてもらい、仕事をした。
3人とも、産後8週間しか休めなかった。


当時の局長は、
仕事をする以上、子どもを理由に休むことは許されない。
きちんと保育をする人を確保して働くのがプロとしての心構えだ」
と言っていた。


だからか私は、子どもの病気で休んだ記憶がほとんどない。
(もちろん、自分が熱が38度超えのときでも、
局長出張の時など、解熱剤をおしりに入れて出勤した。
⇒せざるを得ないと思っていた)


みてくれる母が具合が悪いとき、
トモヤを背負って窓口に出ていた。
おむつ・離乳食を持って出勤した、それが許される?職場だった。


小学生になると、風邪をひいたトモヤを、
お粥とポカリスエット、ゼリーなどのおやつを置いて、
寝せて、仕事にでかけていた。

今思えば、
休ませてもらえなかったことがおかしいのだと思う。

でも、それを強く言い出せなかった。
なんて、なんて、なんて、冷たい母親。


小学校初めての授業参観は、
忙しいGW前の4月28日だったから、休めなくて行けなかった。


応援団長として活躍する体育祭は、
月曜日だったため、仕事を休めなかった。

中学3年生のトモヤ

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学校の記録用のビデオを許可を得てお借りしました。



やっとの思いで合格した高校の入学式も、
局長の会議があって行けなかった。
(悲しくて悲しくて、職場で泣きました)


高校野球で念願の背番号を初めてもらった、
最後の夏の大会の入場行進も、休めなかった。
(昼休みを入場行進の時間に変更してもらい、テレビを観て泣きました)




トモヤが亡くなって10日めころ、局長に呼び出された。
監査があるからと、帳簿類のチェックをさせられた。
(そのまま仕事に復帰、辛すぎて12月から2か月半休みました)



私が、いつも仕事を優先させる母親だったから、
トモヤをどれだけ我慢させただろう・・。



いま、周りの社員を見渡して、こんな奴はいない。

比較的私と年代が近い社員も、
どんなに忙しくても、講習会が入っていても、月末でも、
子ども優先で休みを入れる。


いまは、そおゆう時代なんだ。
それが、親なんだ。


社員が無理な休みを請求するたびに、
私は胸をぎゅっとつかまれたように痛くなる。



トモヤ、ごめんね。
ほんとは仕事休んで、いっつもトモヤのこと見てたかったんだ


もっといっぱい、ずっと。
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